「自己実現の先にある“自己超越”って一体何だろう?」と疑問に思ったことはありませんか?
マズローの欲求階層説の最上位に位置づけられる自己超越は、「自分を超えて他者や社会、自然とつながること」とされています。けれども、「理想論に聞こえる」「本当に必要なの?」と感じる人も少なくありません。
この記事では、自己実現と自己超越の違い、マズローが晩年にこの概念を提唱した背景、そして批判と肯定的評価の両面をわかりやすく解説します。さらに、ポジティブ心理学や日常生活での活用例もご紹介します。
ぜひ最後まで読んでくださいね。
マズローの自己超越とは?

マズローといえば、欲求階層説(欲求のピラミッド)が有名です。食べ物や安全といった基本的欲求を土台に、人は順に「愛情」「承認」を求め、最上位に自己実現欲求(自分の可能性を発揮したい欲求)があるとしました。
しかしマズローは晩年、さらにその上に「自己超越」という段階があると提唱しました。これは自己実現を超えた「他者や社会、自然や宇宙とつながる境地」を指しています。つまり、自己超越欲求とは、自分という枠を超えて、他者や社会、自然や宇宙など“より大きな存在”とつながろうとする欲求であり、その形は貢献活動だけでなく、芸術・瞑想・自然体験など幅広く表れます。
自己実現と自己超越の違い
- 自己実現:自分の能力や才能を発揮すること。たとえば「画家として自分らしい作品を描く」「仕事で成果を出して成長する」といったイメージです。
- 自己超越:自分だけでなく、他者や社会のために行動すること。たとえば「作品を通じて人々に感動を与える」「社会課題の解決に取り組む」といった方向性です。
つまり、自己実現が「自分中心」なら、自己超越は「自分を超えて他者や世界へ」という発想です。
マズローが晩年に提唱した背景
マズローは人間の成長を研究する中で、「自己実現を果たした人は次に何を目指すのか?」という問いに直面しました。
そこで注目したのが、偉大な芸術家や社会運動家、宗教的指導者たちの姿です。
彼らは単なる「自分の成功」では満足せず、他者や社会全体の幸福を追求していました。マズローはそこに、人間の欲求がさらに上に進む余地を見出したのです。
自己超越の具体例
自己超越は抽象的に聞こえますが、実際には身近な行動の中にも表れます。
- 芸術活動:創作を通じて「美や真理」を追求し、多くの人に影響を与える
- 利他的活動:ボランティアや寄付、社会貢献など「他人のために行う行動」
- スピリチュアル体験:宗教的な悟り、自然との一体感、深い瞑想など
これらに共通するのは、「自分のため」を超え、「他者や大きな存在のため」に動くことです。
自己実現と自己超越は実際には混ざり合っている
理論上は「自分の才能を伸ばす=自己実現」「社会や他者とつながる=自己超越」と分けられますが、現実の人生ではこの2つはしばしば同時に起こります。
たとえば、自分の成長のために始めたことが、結果的に社会に役立って喜ぶケースや、人のために行った活動が、自分の学びや喜びになるケースは珍しくありません。
つまり、自分の才能を最大限に伸ばしつつ、他者に喜ばれる存在になることが、そのまま自己実現につながる場合も多いのです。
そのため、マズローの区別は「便宜的な理解のためのモデル」であり、実際には両者は流動的に重なり合うプロセスとして捉えるのが自然です。
自己超越が批判される理由

マズローの自己超越は理想的な考え方として注目されますが、一方で多くの批判も受けています。ここではその代表的な理由を見ていきましょう。
価値観の押しつけになる可能性
自己超越は「自分を超えて社会や他者のために生きるべきだ」という方向性を持っています。
しかし、これは一歩間違えると「そう生きない人は未熟だ」という価値観の押しつけにつながる可能性があります。
例えば、
- 「社会のために貢献しなさい」と言われると、個人の自由や多様な生き方を軽視してしまう
- 宗教的・スピリチュアルな意味合いが強くなり、人によっては違和感を抱く
このように、万人に共通の理想像とは言えないのが問題点です。
実証研究の乏しさと再現性の問題
もう一つの大きな批判は、科学的な裏付けが弱いことです。
- マズローが「自己超越」を提唱したのは晩年で、体系的な研究やデータは十分に残されていない
- 実際に「自己超越」を測定する方法や明確な基準が存在しない
- 再現性のある研究成果が少なく、心理学の実証科学としては不十分
そのため、「魅力的なアイデアだが、科学的な理論としては弱い」と指摘されてきました。
スピリチュアル的すぎるという批判もある
マズローの自己超越には「宇宙や自然との一体感」などが含まれるため、心理学の理論というよりスピリチュアルに近いと感じる人もいます。実際、研究での再現が難しく、科学的に扱いにくい点が批判の対象となっています。
結局、自分のためにやっているのだから「自己超越」はおかしいのでは?という疑問
多くの人が抱く素朴な疑問――
「結局、人は自分のために行動しているんじゃないの?それなのに“自己超越”なんておかしくない?」
この問いは、実は心理学でも長年議論されてきたテーマです。
「完全に自分を超える」ことはできない
まず前提として、人間はどんな行動も最終的には自分の価値観・感情・欲求に基づいていると言われます。
誰かを助けるのも、社会に貢献するのも、「そうしたい」「その方が納得できる」「嬉しい」という自己の内的動機があるから。
つまり、客観的に見れば――人は自分を完全に超えることはできません。
この点で、「自己超越」という言葉を字義通りに受け取ると、たしかに矛盾しています。
人はどこまでいっても「自分」という存在から離れられない。
この感覚はとても現実的です。
では、なぜ「自己超越」という概念があるのか?
心理学でいう自己超越(Self-Transcendence)とは、
「自分を犠牲にすること」ではなく、“一時的に自己中心性を忘れるほど、他者や価値に没頭している意識状態”を指します。
要するに、
自己超越は、現実的には「自分のため」でありながら、主観的には「自分を超えたように感じる瞬間」。
その「幻想の力」が、私たちを困難の中で立ち上がらせ、挑戦へと向かわせるのです。
少し整理すると、こうなります👇
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 客観的(外から見た現実) | 人はどんな行動も最終的には「自分の価値観・満足・意味づけ」に基づいている。完全に“自分を超える”ことはできない。 |
| 主観的(内側の体験) | ある瞬間に「自分を忘れる」「他者や世界とつながっている」と感じる体験が起こる。それが“自己超越”と呼ばれる。 |
| 学問的立場 | 「自己超越」は実在的な超越ではなく、“意識の構造変化”を指す比喩的概念。幻想に近いが、人間の行動や回復力を説明する上で有効なモデル。 |
肯定的に評価される点

批判も多いマズローの自己超越ですが、近年ではポジティブに評価される場面も増えています。ここでは、その肯定的なポイントを整理します。
「他者や社会とのつながり」が幸福を高めるという研究との一致
心理学や社会学の研究では、人とのつながりや社会的貢献が幸福感を高めることが繰り返し示されています。
たとえば、
- ボランティア活動をする人ほど幸福度が高い
- 親しい人との絆がストレスを和らげる
こうした研究結果は、「自己超越は個人の幸福にもつながる」というマズローの考えと一致しています。
近年のポジティブ心理学との関連(PERMAモデルや利他的行動)
ポジティブ心理学では、幸福を構成する要素の一つとして「Meaning(人生の意味)」や「Relationships(良好な人間関係)」が挙げられます。
これはマズローの「自己超越」と非常に近く、「自分を超えた存在とのつながり」こそが幸福を支えると考えられています。
また、利他的行動(人のために行う行動)が自分自身の幸福感を高めることも、多くの研究で示されています。

実生活での活用例(キャリア・ボランティア・創作活動)
自己超越は必ずしも「壮大な理想」だけを意味しません。日常生活の中でも実感できます。
- キャリア:仕事を「生活のため」ではなく「社会に価値を生む活動」と捉える
- ボランティア:地域や人のために小さな貢献をする
- 創作活動:「自分だけの満足を超えて、人に感動や共感を与えられた」と思う瞬間
こうした日常の選択が、結果的に自己超越的な生き方につながっていきます。
社会的欲求との違いは「動機」にある
「他者とのつながり」や「社会への貢献」と聞くと、マズローの下位にある社会的欲求(所属や愛情の欲求)や承認欲求と同じではないか?と感じる人も多いかもしれません。
しかし、両者の違いは行動の動機にあります。
- 社会的欲求・承認欲求
→ 「人に受け入れられたい」「認められたい」という自分中心の満たし方
(例:友達が欲しい、上司に評価されたい) - 自己超越欲求
→ 「他者や社会そのもののために行動したい」という自分を超えた方向性
(例:地域活動に参加する、作品を通じて人を勇気づける、環境問題に取り組む)
同じボランティア活動であっても、
- 「人から褒められたい」なら承認欲求寄り、
- 「純粋に役に立ちたい」と感じるなら自己超越寄り。
このように、表面的な行動は似ていても、根底にある動機の違いこそが、自己超越を他の欲求段階と区別するポイントです。
まとめ|自己超越をどう捉えるべきか?
ここまで、マズローの自己超越について、その内容・批判・肯定的な評価を見てきました。最後に、実際に私たちがどう捉えるべきかを整理します。
理想論としての価値と限界
自己超越は、「人は自分を超えて社会や自然とつながれる」という理想的なモデルです。
しかしその一方で、科学的な根拠は弱く、実証が難しいという限界もあります。
「誰もが必ず到達すべき段階」と断定するよりは、あくまで「人間理解を広げるための視点」として扱うのが健全です。
万人に必要ではなく「一つの選択肢」として理解する
自己超越は、すべての人にとって必須ではありません。
- ある人にとっては「キャリア成功」が自己実現
- ある人にとっては「家族との時間」が自己実現
- ある人にとっては「自然との一体感」や「奉仕」が自己超越
というように、人それぞれの選択肢の一つとして捉えるのが現実的です。
「自己超越」の心理学的な意味
哲学的・論理的に見れば、「自己超越(Self-Transcendence)」という語は字義どおりには成り立っていません。
なぜ“言葉として間違い”と言えるのか
- 「超越(transcend)」とは、本来「〜を超えて存在する」「〜の外に出る」という意味。
- ところが、どんな行動であっても人は自分の感情・価値観・欲求の枠から完全には出られません。
- したがって、「自分を超える」という表現は文字通りには不可能です。
この点で言えば、「自己超越」という言葉は厳密には誤用、もしくは比喩的表現だと言えます。
つまり、“学問的な方便”としての言葉であって、事実の記述ではありません。
それでも心理学で使われる理由
心理学で「自己超越」と呼ぶのは、
“自分のため”という意識が薄れ、他者や価値とのつながりを強く感じる体験を説明するための「主観的モデル」だからです。
科学的に「超えた」とは言わず、「超えたように感じる心理状態」を指しているだけ。
結論
✅ 言葉としては「自己超越」は嘘に近い(字義通りには成立しない)
✅ しかし、心理学的には「嘘ではない幻想」=人間が感じる“主観的超越感”を示す比喩として使われている
つまり、こう整理できます👇
自己超越という言葉は、事実の説明としては間違いだが、体験の描写としては真実。


